冒険者ヒルベルトは朝の身支度を済ませると、肩には手ぬぐい、腰には剣、上半身は肌着一枚という格好で、宿の勝手口から裏庭に出た。
雑草が刈り取られた裏庭には、藁束を巻いた丸太を十字やX字に組んだものが立ち並び、冒険者達がそれぞれ好きな時刻に現れては日々の鍛錬に利用している。
もっとも、朝練を毎日欠かさずするのはヒルベルトぐらいなので、たいてい独りで黙々とメニューを消化し、給仕の娘がシーツを干しに来るまでに宿へ引っ込むのだが、今朝は珍しく先客がいるようだ。
手足を伸ばして体をほぐすヒルベルトに、ヘー・イッシが話しかけた。
「おはよう。例の新技の練習かい?せっかくだから付き合うよ」
「おはよう。嬉しいけど今回ばかりは駄目だ。まだ手加減ができないから、あんたに怪我をさせてしまう」
「そんなに凄いのか」
「見ればわかるさ」
なぜヒルベルトが練習用の木剣でなく真剣を持って来たのかというと、鞘がなければ意味のない技だからだ。
剣を鞘から抜き、ぐるぐると回して手首を馴染ませ、改めて鞘に納める。腰を落とし、柄に添えた手は通常とは逆で、指先がやや上を向いている。
「普通、剣捌きの基本は手首だよな?だがこいつは違う。いいか……」

居合斬り。裂帛の気合いを込めて敵一体を斬りつける抜刀術。

早朝の澄んだ空気に丸太を斬り飛ばす乾いた音が響き渡り、ヘー・イッシは目を丸くした。剣が、鞘の存在を無視してすり抜けたようにしか見えないのだ。
「速いだろ?座ったままでもできるぞ。イアイとは本来そういう意味らしい」
速いなどというレベルではない。何度繰り返し確かめようと剣を抜く瞬間は見えないまま、丸太の上端が少しずつ短くなってゆく。
「私にもできるかな?」
「金が貯まったら、闘技場の講習に行って来いよ」
「お前から教われば安上がりだろ?な?頼むって」
ヘー・イッシはヒルベルトから得物を借りた。
「剣を抜くと同時に鞘を引いて、全身をバネにするんだ」
言われるまま、今しがた見たように鋭く息を吐きながら抜剣してみたものの、その切っ先は丸太に深く食い込んだだけで、切断するまでには至らない。
銀貨千枚の価値を持つ剣技が一朝一夕で身につくわけがないことは分かっているが、無駄な努力が嫌いなヘー・イッシは素直にヒルベルトに従うことにした。
しかし、受講料のためには少なくとも銀貨八百枚ほどを稼がなければならない。

 

「たった一人の不法居住者を立ち退かせるのに銀貨千枚なんて、おかしいと思ったんだ!」
「手を離せよ。報酬が欲しくないのか?冒険者さん」
ヘー・イッシに胸倉を掴まれた案内人は、下卑た笑いを浮かべた。
「止まるなヘー・イッシ。到着が遅れる」
「……ちっ」
街道開発局が地方都市に新しい道路を敷くというので、冒険者一行は開発予定地のゴミ掃除に参加した。
日光を遮るものなど何もない赤黒い荒野。急峻な岩山を幾度も越えねばならないため馬も使えず、一行の忍耐力はまさに限界に達していたところだった。
「歩きながら説明しろ。そいつは何者だ。何でこんな辺鄙な土地にこだわる」
「気狂いの考えることなんざ気狂いにしか分かんねぇよ。地上げに来た役人も冒険者も皆殺しにされるってんで、ここいらじゃ知らん者はない三十人殺しの黒騎士って野郎だ」
本当に三十人も殺したのなら王国騎士団に目を付けられているはずだが、破格の報酬が黒騎士の実力を物語っている。
噂に尾ひれが付いているとしても、かなりの数の刺客を返り討ちにしたのだろう。
「俺はこれまで十組以上案内したが、生きて帰った奴は半分もいねぇ。とにかく、手の付けられない野郎だ。あんたらも気をつけな」

 夕刻近くになって、案内人と別れた冒険者一行は荒野に佇む崩れかけた一軒家の玄関に腰を下ろし、主の帰還を待った。
蝶番の壊れかけた扉には錠前などなく、埃臭い屋内は無人。床板はところどころ腐っているのか、一歩踏み出すたびに耳障りな音を立て、冒険者を驚かせるような罠や仕掛けはなにもない。
黒騎士と渾名されるだけあって、母屋の脇には馬舎があったが、馬の姿は見当たらなかった。
「アンゲロ、我々は険しい岩山のある荒野を馬車や馬では通れないというから、半日もかけて歩いて来たんですよね?なのに、彼はどこから馬を持ち込んだんでしょうか?」
「さあな。俺達は仕事をするだけだ」
できれば日が沈まないうちに殺しに来てもらいたいものだと思っていると、見張りをしていたステファニーが屋根から飛び降りた。
「荒野の騎士さんのお出ましだよ」
揺らめく地平線の向こうから土埃を上げて、黒い襤褸(ぼろ)切れを乗せた一頭の軍馬が駆けて来る。黒馬はくるりと向きを変え、刹那、乾いた空気をなにかが切り裂いた。
「伏せろ!」
ヒルベルトの警告は遅かった。黒騎士の放った矢がノーミルの腿を貫いたのだ。へたり込むノーミルの額を捉えた第二撃は、しかし命中寸前でヒルベルトの剣に打ち砕かれた。
「あんな遠くから!」
「ヘー・イッシ!ノーミルを頼む!」
「お、おう!」
一陣の風となった黒い影が二人の頭上を飛び越していく。
 ヘー・イッシは家の中にノーミルを運び込むと、自分の背嚢から清潔な布を取り出して細長く裂いた。
「大丈夫?」
「貫通してくれたおかげで手当ては簡単だが、こりゃあ戦闘不能だな。ステフィー、棒きれを探せ」
ステファニーはヘー・イッシを睨んだ。
「賢者の杖でいいんじゃない?」
「いいえ!それは困る。代わりにこれ、使って下さい」
剣帯の留め具を外し、中身を抜いて空になった鞘とともに差し出したのはギー・ギャロワだ。
脚の付け根に剣帯を巻き、鞘を通して強くねじれば止血帯になる。下手に予告して身構えさせるとかえって筋肉が硬くなるので、できるだけ手早く矢を抜かなければならない。
「私のことはいいから……ッ!」
「心配しないで。きっと、何もかも上手く行きます」
ギーは激痛をこらえて涙ぐむノーミルの手から杖を受け取り、ただちに玄関を出た。

「この土地は、リューン街道開発局に属する開発予定地だ!痛い目に遭いたくなかったら投降しろ!」
矢が頬をかすめるのも構わず直進するヒルベルト。そうすることで囮になるつもりだったが、彼の読みはある意味では外れた。
黒馬は踵を返したものの、黒騎士はその馬上で真後ろを向き、逃げながら矢を放ち続ける。一度きりならまぐれもあるが、二度三度と避けられる狙撃ではない。
「蛮族の技か!」
滅茶苦茶に振り回した剣が矢を払ってくれるよう祈りつつ、右へ回り込む。
黒馬が左へ逃げ、黒騎士がヒルベルトを追って右を向く。
そのとき左に先回りしていたアンゲロが馬の前脚を薙いだ。黒騎士は襤褸切れを目深に被っているので、左右に広い死角があるのだ。
追いついたギー・ギャロワの攻撃で横腹にとどめを刺された黒馬を捨てて、黒い外套の騎士は赤い荒野にずしりと降り立った。
「投降しろ。我々はあんたを殺せとは依頼されていない」
ヒルベルトの目には、黒騎士が物言わず抜き放った剣が「 死ぬまで戦い続けるだけだ 」と答えているように感じられた。
アンゲロは背嚢から取り出した徒渉(かちわた)る神の目を掲げ持ち、その瞳を黒騎士に向けた。
「気をつけろ……。俺達とそいつとの力量には、素人が俺達に挑むのとちょうど同じぐらいの開きがあるぞ」
 三人の冒険者が黒騎士の周囲を走る。正攻法で勝てない格上の相手を倒すのは、どんなときもフェイントだ。剣で戦う限り、三人の囲みを崩せる戦士はいない。
だが黒騎士にも切り札があった。黒い外套が翻ったと見えた瞬間、三人が同時に仕掛けた三つの攻撃すべてが弾き返されてしまったのだ。
双剣。一本では補いきれない死角を第二の剣がカバーする。黒騎士の逆襲が始まった。
黒い旋風はアンゲロとギー・ギャロワの攻撃を猛烈な連撃でいなしながら、利き手の剣でヒルベルトを追い詰める。それは裏を返せば、彼を最も警戒しているということでもある。
「(見透かされている……?)」
「風の力を借りましょう!」
三人の動きがわずかに加速した。ギー・ギャロワが詠唱した、風の魔力で味方全体の身のこなしを軽くする補助魔術、迅速なる風の効果だ。
絶え間ない連打で冒険者の腕を痺れさせ疲弊させる算段だった黒騎士が、攻撃が思うように当たらなくなったために小さく舌打ちをするのを、ヒルベルトは聞き逃さなかった。
そこへ新たな戦士が躍り出る。
ヘー・イッシの膝と肩を踏み台にして大きく跳躍したステファニーの渾身の一撃は、黒騎士の振り向きざまの反撃にあえなく弾かれたが、ヒルベルトが納剣して居合斬りの体勢を取るだけの隙を作るには充分だ。
「切り札は!」
漆黒の甲冑が外套ごと脇腹から顎まで切断される。だが黒騎士は倒れない。
「最後まで!」
黒騎士の懐へさらに踏み込み、手首を返す。
「取っておくものだ!」
無防備な肩口に会心の一撃を受けた黒騎士は鎖骨を砕かれて脱力し、甲冑の切断面から赤黒い血をこぼしながら、赤い荒野にどうと崩れ落ちた。

 夕闇の迫る荒野に、朽ち木を組んで立てられた無数の墓標が影を伸ばしている。風化して散らばったものもあり、噂の通り三十に届くかどうかは、もはや分からない。
冒険者達は黒騎士と黒馬の亡骸をそこに加えた。
「これだけ深く埋めれば、風雨で顔を出すこともないだろう」
「律儀な奴だな」
「すぐ引き返せば日帰りだったのに、おかげで野宿だよ」
ステファニーは懐から指先ほどの小さな木彫り人形を取り出した。剣と盾を携えた兵士……いや、妖魔だろうか?
「何?それ」
「騎士さんの家にあったの」
「あなたね、そうやって何でもかんでも拾って荷物を増やすのは悪い癖よ?」
「余計なお世話だよ!でもこれ、宝物っていうよりは暇潰しの副産物に見えるんだよね。騎士さん、こんなところにいて楽しかったのかな」
 いつの間にか、日暮れとともに風が出ていた。
名も知らぬ騎士に心中で別れを告げ、立ち去る冒険者一行の背後で、墓標の合間を吹き抜ける風の声だけが虚しく響いている。

 

おわり

 

引き継ぎ金収入支出ツケ合計
金額(sp)1290+1000-1000-1001190
 
スキルアイテム召喚獣
居合斬り木彫りゴブリン
 





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Last-modified: 2014-08-18 (月) 22:57:17