湖のほとり、じっとりとした風が茂みを揺らす。あたしたちはその茂みの中に潜み、奇襲の機会をうかがっていた。標的は50メートルほど先にいる。オーガ、食人鬼と呼ばれる凶暴な生物だ。時折風に乗って、オーガの体臭が運ばれてくる。その物が腐ったような匂いに、あたしはうんざりしていた。
 リューンから3日ほどの距離にある小村、その付近の森で最初にオーガが目撃されたのが1週間ほど前のことだった。小村の村長はすぐに討伐依頼を出した。そして800spに釣られ、やってきたのがあたしたちだ。昨日の今日で森に入ったあたしたちは、半日ほどでオーガがねぐらにしている水場を見つけた。しかし、あたしたちはそこの主の姿を見たとき、思わず狼狽してしまった。そいつは2階建ての家ぐらいの大きさをしていて、あくびをしただけで空気がびりびりと振動するのを感じた。通常の倍ほどの大きさはあるだろうか。恐らく突然変異種か、なるほど金払いがいい依頼のはずだ。なぜ、このようなオーガが突如森に現れたのか。そんなことはあたしにはどうでもいい、あたしたちは目の前でのんきにくつろいでいるオーガを、殺さなければならないのだ。とはいえ、まともにやり合っては苦戦は必至。そこで、あたしたちはオーガの寝込みを襲うことに決め、近くの茂みに潜り込んだのである。
 オーガは土の上にその身を横たえ、左腕で肘枕をしていた。そこにあったはずの木々は引っこ抜かれ、あちこちに放り捨てられている。ねぐらの周囲には動物のものらしい骨が数多く散乱していた。もちろんオーガの餌食になったのだ。森から村まで少し距離があるためか、今はまだ村人に被害は出ていない。しかし、このままオーガを放置すれば、犠牲が出るのは時間の問題だった。
 「近づくとより迫力が増すな…」
 アンゲロが小さな声で呟いた。それにギーが呼応する。
 「そうですね、せめて見晴らしの悪い森の中だと、近づいて魔法を使うことも出来るのですが…」
 「いっても、この暑さだからな…、オーガも水場の近くがいいさ」
 ヘー・イッシはそう言うと、額の汗をぬぐった。
 辺りは、夕刻だというのに薄暗く、空気はかなり湿気を含んでいるようだ。蛙が鳴く、蒸し暑い梅雨の日だった。
 あたしも汗をかいて、喉がひどく渇いていた。水筒はとっくに空で、目の前の湖が恨めしく感じた。
 「ねえ、ノーミル水残ってない?」
 「仕方ないな…、全部飲んじゃだめよ?」
 ありがたい、ノーミルは優しいなあ。あたしはありがとう、と言って彼女から水筒を受け取ろうとした。
 「しっ…」
 突然ギーがそう言って、あたしたちに黙るよう手を向けた。何事かと思って注意を向けると、オーガが右腕を動かしていた。
 しまった、気づかれたか。こんな喉が渇いた状態で果たしてあたしは逃げ切れるだろうか?
 オーガはその右手で近くにあった何かを掴むと、それを自らの口に放り込んだ。なんだ、どうやら杞憂だったようだ。オーガの口から骨のバキバキと砕ける音が聞こえてくる。サイズからして野兎か子狐か、丸ごと食うとは恐ろしいやつだ。
 ほっとしたのもつかの間、あたしは嫌な予感がしてオーガから目線を逸らした。…しまった、こちらは駄目だった、ノーミルから受け取るはずの水筒は、あたしの足下で水たまりを作っていた。
 「あー!私の水がー…」
 「あたしじゃないよギーのせいだよ!」
 「お門違いもはなはだしいですよ」
 「いやお前らうるさいから…、今度は気づかれるぞ」
 ヒルベルトがそう言うとあたしたちは黙ったが、あたしは諦めきれずしばらく水がゆっくりと地面に吸収されていくさまを眺めていた。水たまりには小さな草や土の粒が浮かんでいて、やがてその野菜スープみたいな水面を、一匹のバッタが気持ちよさそうにスイスイと泳ぎ始めた。あたしが段々、これはもう飲めるんじゃないかなと思い始めた頃、ポツンポツンと水たまりに波紋が刻まれ始めた。
 雨が降ってきた。
 しかも小雨でなく本降りだ。もう足下の水たまりは雨に飲まれて分からなくなっていた。でも、もうあたしには水たまりなんてどうでも良かった。水だ。あたしは口を大きく開け、上を向いて雨を受け止める。すぐに水は口に溜まって、それを飲み込むと、張り付いた喉がパリッと剥がれるのが感じられた。ああ、なんて水はおいしいんだ。隣ではノーミルが大きな葉っぱを利用して上手い具合に水筒に水を溜めている。そちらの方が賢い判断だね。あたしもまねしよう。だけど、そんな風に自然に感謝したのは初めのうちだけで、しばらくしてあたしたちは、梅雨の恐ろしさを嫌でも感じさせられた。
 蒸れて蒸れてしかたないのだ。森を歩くために着てきた全身包んだ衣類は、雨と汗でびっしょりだ。頭から垂れる水滴が不快感を際立たせる。それに、なぜかあたしの所だけ小さな虫が付きまとってる。なんなんだこの虫は、あたしに虫の親戚はいないぞ。さらに、最悪なのがオーガから香る体臭だ。だいぶ慣れてきたっていうのに、雨のせいで匂いが倍増したのだろうか。
 ともかくあたしたちは夜を待った。雨は収まる気配がなく、蛙の合唱はいっそう勢いを増した。

 
 
 
 

 やがて夜が来た。雨はまだ降り続いていて、厚い雲のせいであたりは真っ暗だ。その頃にはオーガの体臭も、それほど気にならなくなっていた。いわゆる鼻が馬鹿になるというやつだ。
 闇の中とはいえ、オーガの巨体の気配ははっきりと伝わってくる。そのうち大きないびきが聞こえ始め、あたしたちはオーガが眠ったことを知った。
 「……よし」
 ヒルベルトは小さな声でそう呟くと、まず率先してオーガの元へ向い、私たちもそれに続いた。5メートルぐらいだろうか、それぐらいまで近づいたところで、あたしたちは歩みをとめた。ヒルベルトが、無言でギーの肩を叩く。その瞬間は、周りの蛙の鳴き声が遠く聞こえ、ギーが唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。
 ギーは魔法の矢を唱えた。
 指先から放たれた黄色い閃光は、オーガに直撃した。不意打ちを受けたオーガは横に飛ばされて、少し間を開けてから低い叫び声をあげた。あたしはもうこのまま立ち上がらないでくれ、そう願った。しかし期待通りにはいかなかった。オーガは立ち上がり、こちらに向けた赤い目をわずかに光らせた。
 あたしは身構えた、剣でなく松明だ。あたしは戦闘中明かりをつける役目なのだ。このままでは暗すぎて戦えない。幸い特別に術が施された松明なので、湿気も関係ないし火打ち石も必要ないのだが、困ったことに付け方がわからない。だが振り回してみるとなぜか付いた。
 暗闇に突然灯された炎の光にオーガは怯んだ、普通トロールと違って光を恐れないはずだが、この状況では効果があるようだ。でもそれも一瞬の話、すぐに目が慣れむき直し、そしてあたしのほうを見据える。
 明かり係とは要するに囮だ。
 また損な役回りだなぁと思うも束の間、大木みたいに太い腕が、左側からやってきた。
 あたしは思わず尻から倒れ込む、口で言ったんじゃないかなと思うぐらいの、空気を切り裂く音が頭の上を通り過ぎる。尋常じゃない、脳みそを直接風に吹かれたかのような感覚だ。だがあたしは間髪入れず起き上がり、スリングをオーガの顔にたたき込んだ。囮だからといって反撃しない訳ではない。
 怯んだオーガにヒルベルトが後ろから剣を突き刺した、剣士としては邪道だけど賢い判断だ。そもそも相手は人間ではない。でもどうやらあまり効果は無さそう、オーガに比べるとヒルベルトの剣は爪楊枝みたいだ。オーガもその感覚だろうか、刺さって抜けない剣を引き抜くと、ヒルベルトを手で払いのけた。軽くやったようにも見えるが、ヒルベルトは飛ばされて近くの木に打ちつけられた。そのまま伸びて起き上がらない。だが、恐らく死んではないと思う、彼も冒険者だ。
 ともかく、こっちは一人ダウン、しかも唯一の戦闘専門といっていい。あたしの考えでは少しマズいと思う。そんな気もしらず、オーガはこちらに注意を移す、もちろんあたし狙い。ヒルベルトが気を引いてるすきに少し距離をとったので、さっきみたいにいきなり手が伸びてくるみたいなこともないが、代わりに猪みたいに突進してきた。恐ろしく地響きを立てて向かってくる。猪突猛進とは嘘だ、奴らは曲がれる。
 あたしは右に飛び退いた、オーガはあたしを追い、曲がるどころか手を伸ばしてきた。オーガの指先があたしの体にわずかに掛かった。あたしはそれに、おもちゃみたいにはじき飛ばされる。木にはぶつからなかったが、土の上を転がっていった。先ほどのようにはすぐには立ち上がれない、痛みは我慢出来る、体が動かないのだ。だがオーガは待ってくれないので、無理矢理体を起き上がらせた。
 どうやら骨は折れてない、骨太で助かった。いや、あばらが折れてるかも?
 ともかく戦闘に注意を戻す、あたしはまだ死んでいない。ヘー・イッシがあたしの代わりに松明を握ってオーガの気を引き、ギーとアンゲロが呪文を打ち込んでいる。あたしも戦わなければ、急いでオーガの元に駆け寄った。オーガは囲まれ混乱している、頭は良くないようだ。しかも今頃になって魔法の矢が効いてきたのか、動きも少し鈍い。あたしもスリングをお見舞いする。
 なぜだ、あたしの放った石つぶてを食らったオーガは突然冷静になりこちらを睨む、松明も持ってないのに。雨の中の小さな虫といい今日は付きまとわれる運命なようだ。
 「ステファニー下がれ!」
 ヘー・イッシがそう叫ぶ。確かにそうだ、あたしもかなり消耗している。
 あたしは全力で場から逃げ出した、オーガは松明にも目もくれず追いかけてくる。仲間達が精一杯オーガの気を引こうとするが、どうやらオーガにはあたしが気に入ったようだ。
 足は自分のものじゃないみたいだし、胴体は痛む。でもそんなことは頭には入ってこない、なぜか考えることは宿屋のベットでぐっすり寝ることだった。そんなことが災いしたのか、はたまた必然か、あたしは右足に左足を引っかけるという器用な事をやってみせた。思いっきり転んで、一回転して仰向けになり、顔に雨粒かなだれ落ちてくる。ヘー・イッシが持つ松明の光に雨粒が反射して、曇り空なのに星が光っているように見えた。
 大きな陰が空を遮る、でもそれは一瞬で通り過ぎた。そして、後ろから大きな地響きが伝わってきた。
 「……あれ?」
 上半身を上げて音の元をみた、するとオーガの巨体が転がっているではないか、ぴくりともしない。
 伸びているヒルベルトを除く仲間達が心配そうに駆け寄ってくる、でもあたしを通り過ぎてオーガの方へいってしまった。
 「…死んでますね」
 ギーがそう告げた、そこから自然にみんなに笑みがこぼれはじめた。疲労していたオーガはあたしと同じようにこけて、あろうことか岩に頭をぶつけ息絶えたのだ。雨の中でオーガの死体を囲んで笑う異様な光景だった、…すぐにその輪にあたしも加わったけど。
 そして、その日はそのまま湖のほとりに野宿することにした。匂いになれたと言っても当然、オーガの死体からは離れたところにした。
 その床の中であたしたちは、このまぬけな冒険譚をどう脚色してやろうかという話題に花を咲かせた。


引き継ぎ金収入支出ツケ合計
金額(sp)26708000-6002870
 
 
スキルアイテム召喚獣
スタミナ毒





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Last-modified: 2014-11-18 (火) 20:54:40